とくしまの歴史散歩

①阿波(平島)公方

 阿南市那賀川町の阿波中島駅の近くにある西光寺には、室町幕府の10代将軍足利義稙、14代将軍足利義栄のお墓があります。
 義植は管領の細川氏と対立し、阿波に落ちたのが始まりで、その子義冬も上洛を試み失敗し、阿波平島庄に移り住みます。
 阿波で生まれた義栄は、三好氏や阿波の武将の助けを受け第14代将軍となりますが、悲運の将軍で、在任わずか7か月で織田信長に京を追われ、ふるさとに近い鳴門の地で病死します。
 その後、その子孫たちは長曽我部氏や蜂須賀氏と時代が変わっても約270年阿波の地に残り、阿波公方(あわくぼう)と呼ばれました。
 公方とは、「おおやけかた」ともいい、室町時代には将軍を意味しました。こうしたことから、人々から公方様と親しまれ、京都より儒学者の島津崋山を招くなど、この地域の文化に大きな影響を与えました。
 しかし、蜂須賀氏はこの阿波公方を冷遇し続けます。家名を平島氏に改姓させるとともに、当初、かなりあった知行を減すなどしました。
 蜂須賀氏のこのような対応は、自分が大名であるにもかかわらず、領内にかって室町幕府の将軍であった権威のある特別な家が存在することが疎ましかったのではないかと言われています。
 こうしたことから、文化2年(1805年)、第9代阿波公方義根のときに、阿波国を退去し京に帰っています。

 

西光寺

阿南市 西光寺

 

 

 阿南市那賀川町の西光寺に足利将軍家のお墓があります。写真の左より第14代将軍義栄、第10代将軍義稙、初代阿波公方義冬の順に並んでいます。

地蔵寺

小松島市 地蔵寺

 

 小松島市松島町にある地蔵寺に阿波公方の屋敷の一部が移築されています。写真右側の建物。

②室町幕府歴代将軍と阿波公方

足利将軍一覧