歴史と政治経済

@安房国(あわのくに) 阿波「忌部氏」が開拓した房総半島

 忌部氏(いんべうじ、のちに「齋部氏」改め)は、元々、現在の奈良県橿原市忌部町周辺を根拠とし、大和朝廷で中臣氏(のちに藤原氏となり権勢を誇った)ととも祭祀に司っていました。しかし、次第に中臣氏に押され、中央の表舞台から消えていきます。
 その後、忌部氏は肥沃な土地を求め阿波国(当時は粟国)に入国し、阿波忌部氏となります。阿波忌部氏の役割としては、代々、穀(カジ:紙などの原料)や麻を植え、麻から布を織り、天皇の即位儀礼・大嘗祭(だいじょうさい:天皇即位後の初の新嘗祭)に麁服(あらたえ:麻で織り神衣として祀る織物)を献上していました。かつて徳島県には麻植郡(現在の吉野川市)という郡がありましたが、これは阿波忌部氏がえ、よく育ったので麻植郡になったと言われています。

 

 なお、2019年に予定されている新天皇の即位の後に行われる大嘗祭にも、阿波忌部氏直系の末裔(現在は三木家)が麁服を織り、宮内庁に献上するものと思われます。

関東地方の旧国名

 

 ところで、阿波国にいた忌部氏の一部は、更に肥沃な土地を求めて黒潮に乗り海路東国に向かい、房総半島に上陸します。
 そして、阿波国で栽培していた穀や麻を植えてみると良く育ちました。
 この良質な麻が成長したところを総(ふさ:麻の古語)の国と言いました。そして、阿波忌部氏が住んだところを故郷にちなみ安房(あわ)と名付けたと言われています。
 総の国の都に近いところを上総(かずさ)、遠い方を下総(しもうさ)と呼びました。そして、安房国の「房」と上総国、下総国の「総」を組み合わせ「房総」と呼び、これが「房総半島」の由来です。

 

 なお、平安時代初期に書かれた史書の「国造本紀(こくぞうほんぎ)」によると、房総半島が「阿波」と記載されています。
 こうしたことから、元々「阿波」であったが、四国の阿波と紛らわしく、区別するために「安房」になったのかもしれません。
 阿波忌部氏は房総半島の布良浜に上陸し、男神山と女神山という山の間の平な土地に先祖の忌部一族をお祀りするために、「安房神社(千葉県館山市)」を創建しました。
 なお、この安房神社は「安房国一之宮」として、現在でも広く一般庶民から崇敬も集めていますが、毎年7月10日に忌部塚祭が行われています。

 

安房神社

 忌部塚とは、昭和7年に安房神社の境内にある洞窟を採掘したときに、22体の人骨、貝輪(貝製の腕輪)、小玉(石製)や土器が発見されました。 

 

 発見された人骨は先祖の忌部一族のものと考えられるため、神社近くに埋葬し、忌部塚と名付けました。
 忌部塚祭は、先祖の忌部一族の房総開拓の功績を讃え、偲ぶ縁としているものです。
 また、安房は江戸時代に滝沢馬琴によって著わされた長編小説「南総里見八犬伝」の舞台でもあり、現在、観光ルートとしても人気があります。

 

                                                                                                      千葉県館山市 安房神社

 

  千葉県庁のホームページ 昔の千葉(千葉県のなりたち)

 

  安房神社ホームページ